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横浜簡易裁判所 昭和30年(ろ)248号 判決

本籍

横浜市中区宮川町二丁目四三番地

住居

右 同所

無職

陳夏単こと

能勢夏子こと

能勢夏又はナツこと

能勢夏嬋

明治四五年五月二日生

右の者に対する横浜市風紀取締条例違反被告事件につき、当裁判所は検察官兵藤秀雄出席の上審理を遂げ、次のとおり判決する。

主文

被告人を罰金一万六千円に処する。

右罰金を完納することができないときは、金五百円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は。

第一、横浜市中区宮川町二丁目四三番地において、カフエー「ドラゴン」を経営していたものであるが、能勢達三と共謀の上、売春のために使用するものであることの情を知りながら、昭和二七年九月頃から同年一二月頃迄の間、同所において。婦女である江成八重子に対し、同女が売春の都度二〇〇円ないし五〇〇円位の部屋代を受領して、同所階下三号室を貸与し、以て売春の場所を提供し、

第二、いずれも売春をさせる目的で、前同所において、売春による玉代折半の条件で、

(一)  昭和三〇年二月三日頃から同年四月一二日頃までの間婦女である佐々木和子を、

(二)  同年三月一二日頃から同年四月一二日頃までの間婦女である柳原礼子を、

各雇入れていたものである。

(証拠略)

(適用法規)

横浜市風紀取締条例第六条第一項、刑法第六〇条、罰金等臨時措置法第二条(以上判示第一につき。罰金刑選択)横浜市風紀取締条例第七条、罰金等臨時措置法第二条(以上判示第二の各事実につき。罰金刑選択)、刑法第四五条前段、第四八条第二項、第一八条。刑事訴訟法第一八一条第一項本文。

(弁護人の主張に対する判断)

弁護人は、

第一点 横浜市風紀取締条例は憲法に違反する。

第二点 仮りに憲法違反がないとしても横浜市風紀取締条例は昭和二十二年一月十五日勅令第九号婦女に売淫をさせた者等の処罰に関する勅令との間に競合し、前者を以て処罰することは違法である。

第三点 横浜市風紀取締条例は地方自治法第二条及び第十四条の条例所管事項の範囲を逸脱し無効である。

(1)  地方公共団体は地方自治法第二条第十四条に定める事項に限り条例を制定することができるものであり、横浜市風紀取締条例は横浜市警察の存在を前提として、有効なものであつたところ、昭和二十九年六月八日法律第一六二号警察法に基き昭和三十年六月三十日限り横浜市警察は廃止された。

(2)  従つて横浜市警察(地方自治体警察)の廃止に伴い横浜市風紀取締条例は廃止すべきであり、廃止の手続が為されないものであるなら無効な条例である。

以上各点に因り被告人は無罪又は免訴とすべきものである。

と主張する。

よつて以下これについて判断する。

論旨第一点につき。

所論は、横浜市風紀取締条例は憲法に違反するというだけで、右条例の如何なる点が憲法の如何なる条項に違反するかの具体的な主張がないので、これを具体的に判断するに由ない。然し横浜市風紀取締条例(昭和二六年一〇月一日横浜市条例第四八号)はその形式面においても実質面においても何等憲法に違反するところはない。

論旨第二点につき昭和二二年一月一五日勅令第九号婦女に売淫をさせた者等の処罰に関する勅令(昭和二七年法律第一三七号により同年五月七日以後法律としての効力を有する)はその第二条に(本件に関する限りその第一条及び第三条は関係ないものと考えられる)、「婦女に売淫をさせることを内容とする契約をした者は、これを一年以下の懲役又は五千円以下の罰金に処する。」と規定し、他方横浜市風紀取締条例は、本件に関する限り、その第六条第一項に「情を知つて売春の場所を提供し………………た者は四月以下の懲役又は三万円以下の罰金若しくは拘留に処する。」と規定し、その第七条には「売春をさせる目的で婦女を雇入れた者……………は、六月以下の懲役又は五万円以下の罰金に処する。」と規定している。そこで所論について考えてみると、右勅令第二条の犯罪と右条例第六条第一項及び第七条の各犯罪とが同一罪質に属するもので、その構成要件の内容の一部においても相重複する点のあることは争われない。然し右勅令の犯罪と右条例の各犯罪とは互にその法律的類型を異にし、構成要件の内容においても各独自の内容を有するものと解される。即ち右勅令第二条は婦女に売淫をさせることを内容とする契約自体を処罰の対象とするに対し、右条例第六条第一項の罪は、婦女に売淫をさせることを契約の内容とすることを要せず単なる知情を要件とするに過ぎないばかりでなく、契約の成否いかんに関係なく事実上売春の場所を提供した行為を処罰の対象としているのであるし、又右条例第七条の罪は目的罪であるばかりでなく、その処罰の対象は雇傭契約を締結した行為にあるのではなく、雇入れている行為自体即ち継続的就労状態を維持する行為をその対象としているものと解すべきである。しかして右両者の関係は所謂法条競合のいずれの場合にも該当しないものと解するのが相当である(この問題は法規に基いて抽象的に決せられるべき問題であつて、個々の具体的事案について考えるべきではない)。即ち右勅令の規定と右条例の各規定との関係は、一般と特殊との関係にあるものでもなく、後者が前者に吸収される関係にあるのでもなく、基本法と補充法との関係に立つものでもなく、又両者が択一関係にあるのでもないものと解される。随つて本件における被告人の各所為の実体(同一性の範囲内にある公訴事実)が、同時に右勅令規定の構成要件に該当する結果を来たしているとしても、その関係は所謂観念的競合の場合に該るものと解すべきである。果して然らば、両者は訴因においてその法律的構成及び法律的評価を異にすると共にその罰条をも異にするのであるから、検察官から右勅令違反の点につき訴因及び罰条の追加又は変更の請求がなされれば格別、然らざる限り(本件の如き場合に裁判所が訴因及び罰条の追加又は変更を命じなければならない義務も必要もあるものとは解されない)、検察官の維持する条例違反の点についてのみ審理し処断したからといつて何等違法とされる理はないものといわねばならない。

論旨第三点につき。

(一)  地方自治法第一四条第一項は、「普通地方公共団体は、法令に違反しない限りにおいて第二条第二項の事務に関し、条例を制定することができる。」と規定し、同法第二条第二項はその処理しうる事務について規定し、同条第三項は更にその事務を例示しているのであるが、情を知つて売春の場所を提供するが如き行為及び売春をさせる目的で婦女を雇入れる如き行為を禁止するのは、右地方自治法第二条第二項の「その他の行政事務で国に属しないもの」所謂行政事務に属し、同条第三項第一号の「地方公共の秩序を維持し、住民及び滞在者の安全、健康及び福祉を保持すること」及び同項第七号の「風俗又は清潔を汚す行為の制限その他の保健衛生、風俗のじゆん化に関する事項を処理すること」の中に包含される事項であるから、横浜市風紀取締条例のこれらの禁止規定が地方自治法第二条、第一四条所定の事項の範囲を逸脱するところは些かもないものというべきである。(尤も単純売春行為それ自体を処罰する現行国家法令が存しない現在において、本条例第三条が単純売春行為それ自体を処罰する規定を創設しているのは、法令に違反しているのではないかとの疑があるが、仮りに右第三条が無効であるとしても、これがため本件処罰規定の効力には影響がないものと解されるから、この点については特に判断しない。)

(二)  昭和二九年六月八日法律第一六二号警察法に基き昭和三〇年六月三〇日限り横浜市警察が廃止されたことは所論のとおりである。然し横浜市風紀取締条例は横浜市警察の存在を前提として有効なものであつたと解する根拠はない。新憲法下にあつては地方自治法は地方公共団体の事務として広汎な行政の執行を加え、新たに広い権力行政を認めているのであつて、この意味において地方公共団体は従来みられなかつたところの統治団体又は権力団体としての性格を備えるに至つたものと解すべく、地方公共団体は警察、統制等の各種の権力行政を行う権能を有することとなつたのである。この意味の地方公共団体の権能は当該地方公共団体が自己の警察組織を有すると否とによつて左右されない性質のものであつて、自己の警察組織を有する都道府県が警察権を有することは勿論、自己の警察組織を有しない市町村と雖も、特に法令により国の事務とされている領域以外においては、自ら警察権を有し、これに基いて条例を設けかつ条例の定める取締を執行する権限を有するのである(これが事務の面からみれば行政事務に属すること前記(一)に述べたとおり)。横浜市風紀取締条例が警察的取締規定をその内容とすることは明らかであるが、この条例は地方公共団体としての横浜市の有する右の如き権能に基ずいて制定されたものと解すべきであつて、その効力は横浜市警察の廃止によつて左右されるところはないものというべきである。ただ横浜市としては市警察の廃止によつて自己の警察組織を有しなくなつた結果(但し横浜市を含む所謂五大市については府県警察本部の分掌機関として市警察部が存置されたことは前記警察法第五二条に明らかであるが)、自己の警察によつてはその取締の執行をすることができずこれを国又は都道府県の警察の力に俟たなければならないというに止まるのである。

以上により弁護人の主張はいずれもこれを採用し得ない。

よつて主文のとおり判決する。

昭和三一年一月一六日

横浜簡易裁判所

裁判官 尾形慶次郎

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